プロフィール

吉田 壽宏 (よしだ としひろ)


自己紹介: 

生年: 1957年(昭和32年)
出身地: 東京都三鷹市

家族: 妻、子(長男)

 

e-mail:    sr-yoshida@flute.ocn.ne.jp

 

職業: 

社会保険労務士、行政書士

平成1年   行政書士合格

平成3年   社会保険労務士合格

        某社会保険労務士 行政書士事務所勤務 

平成6年   吉田経営労務事務所開業

令和5年9月  某社労士法人顧問

 

家業の手伝い、サラリーマン生活を経て、資格取得。

社会保険労務士事務所に勤務の後、平成6年6月、事務所開設。

特定社会保険労務士 

令和5年9月 某社労士法人顧問

 

最終学歴:

国際商科大学商学部商学科卒業

中央大学法学部(通信教育課程)卒業

 

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 私の信条: 

私は、中学生の時、同級生に強烈に(精神的に)押さえつけられました。

序列」です。

高校時代、私は自分を「ゼロにリセット」する必要がありました。

母親には、随分心配をかけてしまいました。

私は20代前半まで、随分と悩みました。。。

 

社会においても、違和感を感じる人をたくさん見てきました。

それは、『地位、役職』を、あるいは『学歴』を、『職歴(所属企業の規模)』を、

「人の序列」と考えている人達です。

自分より序列の下の人なら馬鹿にしても(利用しても)良いと考えている人達です。

 

私は、この点につき次のように考えています。

地位・役職は、社会・会社内における「役割」だということ。

学歴は、18歳(前後)の時の受験科目の一定レベル以上を担保しているということ。

職歴(企業規模)は、22歳(前後)の時の学校と学校内の成績等の一定レベル以上を担保しているということ。

それ以上でも、それ以下でもないと思っています。

 

私は、人は皆違うのだと思っています。

英語の能力も、歴史の能力も、 文学の能力も、数学の能力も、情報・工学の能力も、

美術の能力も、音楽の能力も、

経営の能力も、営業の能力も、事務の能力も、

機転を利かす人も、じっくり考えて答えを出す人も、

足の早い人、泳ぐのが早い人、持久力のある人、ゴルフの上手い人、サッカーの上手い人、

他人に興味を示さない人、愛情深い人、

人生において、何に価値をみいだすかということも、

本当に人は皆違うのだと思います。

 

(人間から見た場合ですが、)

サラブレッドなら、足が速いということが、 唯一のモノサシだけれど、

僕達には、モノサシは、それこそ無数にあると思います。

 

ビジネスにおいては、 

それぞれの業界・仕事で、担当で、

各自が必要な能力を伸ばす努力をし続けなければならないのは、当然のことでしょう。

企業においては、

営業を先頭に「顧客第一」「クライアント/カスタマー・ファースト」で、

社内では、そのために機能的に動けるような人事労務管理が必要でしょう。 

(社内で、それは営業の仕事だ、事務が悪い、製造が遅いなどと非難しあっていては、売上増は

期待できません。FWが点を取れない、バックスが守れないと非難しあっているサッカーチームに

勝利が期待できないのと同じように。得点するためには、失点を防ぐためには、勝利するためには、

チーム一丸となって機能的に協力しあう必要があるでしょう。)

 

また、「組織」において怖いことは、

強い側について、弱い(大人しい、優しい)人を、(集団で)「裁く」攻撃する、ということ。

わきまえない人、子分にならない人を、集団で裁く、ということ。

粗探し、そして、スケープゴーティング(追放された~贖罪の山羊(scapegoat)を抹殺すること)。

一人ひとりが、自分の頭で考えることを放棄してしまうこと。

裏切り、手のひら返し、だんまり・・・。

(他人を認めず)ある人にとっての、都合の悪い人の「排除」。

一方の話しを鵜呑みにしてしまうことも

思い込み、決めつけ、誇張、切り取り・・・。

「あなたはどう考えているのか!?」 「それはどういう理由からか!?」

 

そして、人は皆同じだと思っています。

人間として全ての人が尊重されるべきだし、「人間としての序列」などありえないと思います。

 

私は、人は皆違うと思っていますので、

その違いにより、それぞれ収入が違ってくることは当然だと考えています。

当然に多くのエネルギーを消費した人は、多くのエネルギーの補給が必要だと思います。

社会の中での、需要と供給の関係もあるでしょう。

 

でも、それは人間の序列ではないと考えています。

人間としては、まったくのフラットな関係です。

収入の多い人も、役職の高い人も、それは社会における役割の中でのこと。

「向日葵はその大きさを誇らず、野菊はその小ささを恥じない。」

人としては、まったくの「フラットな関係」です。でも、ここが難しい。

 

猿であれば、ボスを筆頭にすべて序列が決まっています。

マウンティングにより序列は明確です。

鶏であれば、ペキングオーダーによりすべて序列が決まっています。

序列の上の鶏は下の鶏をいじめて良いのです、つついて良いのです。

でも、僕達は人間です。

僕達には、猿にはない、鶏にはない「知恵 (wisdom)」があります、

「愛 (respect for each other)」があります。

 

でも難しい。本当に難しい。

「勘違い」してしまうのです。

私も毎日混乱しています。。。

 

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 好きな言葉:

人は皆違う、人は皆同じ。

向日葵はその大きさを誇らず、野菊はその小ささを恥じない。 

 

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差別主義に対して:

差別主義者(学歴主義者、企業規模主義者、その他差別主義者、優生思想家)からは、

離れた方が良いと思う。

なぜなら、彼らとあなたとは接点が全くないのだから。

(あなたが傷つき、見捨てられ、魂までも奪われないように。

彼らを(なるべく)悪く思わないように。

彼らを(なるべく)赦せるように。)

雇用関係等でないのなら、関係を切った方が良いと思う。

雇用関係等があり断絶が難しいのなら、できる限りのドライな距離感を持つことだ。

あなたの人生は「自由」なのだ。

 

差別主義者の思念によって、あなたの人生は一寸たりとも影響を受けないと、

「確信」を持たなければならない。

あなたは、あなた自身を伸ばすこと(=社会への貢献の増加)だけを考えれば良いのだ。 

 

注意しなければいけないことは、

あなた自身が「差別主義者」にならないことだ。

その上で、この「現実」を生きていくことだ。

 

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優しい人たちへ:

この「現実」を生きづらいと感じている人たちへ。

 

あまり『人』に期待しない方が、(頼らない方が)良いと思う。

冷静に考えれば”なるほど”と思うだろう。なぜなら、

どんなに立派な人でも、「あなた」より「自分」が大切なのだ。

それはあなたが、「相手」より「自分」が大切なのと同じように。

「裏切られた」と、あなたが傷つかないように・・・。

 

人に親切にすることも、優しくすることも、慎重にした方が良いと思う。

相手は、”ありがとう”、”私も親切にしよう”、とは思わないことが多いのだ。

のしかかり利用しようとしてくる。

自分の「子分」に、「手足」にしようとしてくる。

「支配」しようとしてくる。

”もっともっと”と要求し、

従わないと、不平を言い、非難をし、攻撃をしてくる。

あいつのここが悪い、あそこが悪い、と(自分のことは棚に上げて)責めてくる。

「目くそ鼻くそを笑う」・・

・・・非難・攻撃、・・そして(従わない人間を)排除 ~ スケープゴート(生贄)・・・。

そういう人たちが案外多いのだ。

 

彼らを甘く見てはいけない。

彼らはなんでもやってくる。 

作り話(虚偽申告)すら平気でするのだから。

本当につぶされてしまう。

 

彼らは、あなたを

自分より下だと、子分だと思っている、

自分の言うことを聞いてくれると、聞かなくてはいけないと思っている、

そんなとき、あなたがNOと言ったら、彼らは本気であなたを「つぶし」にかかる。

容赦なく、徹底的に「つぶし」にかかる。

あなたを「極悪人」にして、あなたを「異常者」にして。

本当につぶされてしまう。

 

正しい人も、決してそんなこと望んでいない。

 

反省も、謝罪も、「必要以上に」しない方が良いと思う。

こういう結果になったのは、私のせいだ、と、

私は勤勉でない、私は誠実でない、と、

私は優秀でない、と、

高い基準で(責任を感じ)、それを発信することはしない方が良いと思う。

粗探しをしたい人たちの、「餌食」になってしまう恐れがあると思うのだ。

(多くの人は反省などしない。人を傷つけた、などと、もはや感じもしない。

その部分が初めから欠落している人も多い。不都合は100%(弱い)「相手」が悪いのだ。)

「正義感中毒者」の餌食になってしまう・・

「悲劇の主人公」の餌食になってしまう・・

モラルハラスメント(彼ら中心の"モラル")の餌食になってしまう・・・ 

 

あなたが「褒められたい、認められたい」と思っていればなおさら「危険」だ。

相手の現実を生きていく能力は、あなたを数倍も上回っている。

あなたの意識を利用して、あなたを攻撃し「操ろう」とするだろう。

あなたを「誘導」しようとするだろう。

あなたを「支配」しようとするだろう。

彼らはいつかわかってくれるだろう、なんて、思ってはいけない。

彼らにわかってもらおう、だなんて、思ってはいけないのだ。

 

ある意味、人からどう思われても良いのだ。

 

あなたは、自分自身を伸ばすことだけを考えて、行動していくことだ。

「人」の評価を気にせず、『客観的に』外から、『正しい人』から、

自分を評価して、行動していくことだ。

正しい人は、あなたをじっと見ているから。

だから、心配しなくていい。

少しづつ、少しづつ、自分を伸ばしていけば、それで良いのだ。 

 

人とのかかわりを必要最小限にしたって、個人的には良いのではないかと思う。

友だちは、「あいつも頑張っているな。私もがんばろう!」って思えれば、

それで良いと思う。

 

あなたに、ヘルプのサインを出している人がいたら、

あなたは「できる範囲」で、相手をヘルプすれば良いのではないかと思う。

必要以上に、あなたが責任を感じることはないと思う。

必要以上に、あなたが責任を感じてはいけないと思う。

 

 

正しい人に祈ることしかできない。

自分で自分を責めてはいけない。

 

あなたは、この「現実」を、しっかりと自分の足で歩いていくことだ。

生きていくことだ。

あなたを愛する人を、悲しませないためにも・・・。